「古河」は、古く「許我」(こが)と表記され、『万葉集』に当時の情景が二首詠まれ、奈良時代から渡良瀬川の渡し場として賑わっていたことが伺えます。
平安時代には、東日本最大級の“製鉄所”(川戸台遺跡)があり鉄や窯業の生産拠点でもありました。
室町時代後期から戦国時代にかけて古河公方の本拠地であり、江戸時代には古河城の城下町、日光街道の宿場町・古河宿が盛えていました。
関東平野の真ん中に位置していることから関東ド・マンナカ祭りの開催地となっております。都心へのアクセスや道路交通網の便が良い街として知られています。
近年では「日野自動車」を誘致するなど、製造業が盛んとなっております。古河市に根付く企業やお店が協力して行う街おこしは市民の皆様をはじめ近隣の方たちから好評を得ています。